壺中の独言

枕談義

秦 政博

第十九回

 

 

 庭の桜のつぼみが日ごとに膨らむ春、「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎはすこしあかりて…」は、教科書でおなじみの「枕草子」の文頭である。「枕草子」の枕の謂われは諸説紛々よくは分からないが、平安当時は一般の書物を指して「枕草子」と称したという普通名詞説が、妥当かと思われる。

 

 話題は枕である。1日の始まりはラジオ体操。第1と第2体操の間に行う、前後・左右の首まわしでは決まって首筋が痛む。たぶん年のせい、加えて安枕が元凶であるに違いないが、連れ合いはかなり高価な枕に代えてから、「高価」が効いたためか、安眠「効果」に至極満足のようだ。

 

 枕の適不適が命に関係するという記事を見た(3月4日「毎日」)。「殿様枕症候群」という病気、横文字で「ショウグン・ピロー症候群」と呼ぶそうだ。「枕を高くする」というのは、心配皆無の様子を指すが、どっこい高枕は脳梗塞のきっかけになるらしいから、おちおち安眠は出来ない。高枕が首の動脈を損傷させ、そこに出来た血栓が脳の血管に詰まり、思いもしない結果を招くわけだ。「たかが枕、されど枕」である。

 

 それにしても、枕に関わる様々な言葉がある。『日本国語辞典』を引くと、まくらあわせ・まくらえ・まくらがたな・まくらぎ・まくらことば等々「枕」を冠した言葉が90近く、また「枕を並べる」(同衾する)などの枕に関わる熟語が37も並んでいる。その多くが男女に関係するものであるのは人の性の赴くところ。「りんき心か、枕な投げそ…枕にとがはよもあらじ」という小唄は、ヤキモチを抑え切れずに枕を投げ飛ばしている女性の様子。枕投げというと子供たちの修学旅行を思い出す。寝る前のひととき、ヤンチャな子供たちにとっての、浮かれ心の楽しい遊びだったに違いない。引率教師の方もせっかくの機会に、あまり水を差さなかったようだが。

 

 肘(手)枕は自分用、腕枕も自分用だが時に他人も使用するから両用か、膝枕は他人の膝を枕にするから他者専用だ。平安末の「大鏡」(摂関時代の歴史物語)には藤原道長の父太政大臣道家の膝枕の逸話がある。いわく。そのころ賀茂の若宮が寄り付くという、「いとかしこきかんなぎ」(神降ろしをする賢い女性)がいた。神降ろしの際は必ず「ふしてのみものをましゝかば」(うつ臥して神意を伝えた)ので、「うちふしのみこ」と呼ばれていた。この噂を聞いた道家が試してみるとよく的中する。後には自ら衣冠束帯の正装をして、彼女を「御ひざまくらをせさせてぞ、ものはとはせたま(い)ける」-膝枕をさせて神意を伺わせたという。膝枕の効果絶大な話だが、興味ある御仁は家で試してみては?

 

 膝枕?勿論そんなことを要求(懇願?)する相手だっていやしない。だからといって腕枕は自分用だけで、これも身近なのを使用するなど怖くて出来はしない。そうであれば残るは肘枕、高さもそこそこ、「殿様枕症候群」の危険はほぼないし、安心そのもの。今夜もユックリ眠ろうではないか。お好みの枕でどうぞ!それでは諸君、この辺で…。