壺中の独言

鬼の話

秦 政博

第十八回

 

 

 昨年、この頃、この小稿でも触れたが、2月3日は家々から、「福は内鬼は外」の声に合わせて煎り豆(東北・北陸では落花生)を撒く「節分」の日である。もっとも近年は豆撒きの鬼退治よりも、巻寿司の異名「恵方巻」を食べるのがもっぱらで、天下の鬼たちは拍子抜けしているのでは?

 

 その鬼のことについてである。原産は中国。あの世に行った死霊が鬼神となり、「疾疫癘鬼(しつえきれいき)」といって、人に祟り病気を起すものとされた。ちなみに、正月の羽根突きは、「胡鬼板」(羽子板)で鬼の子の「胡鬼子」(羽)を突いて、悪さをもたらす胡鬼の子が自分に近寄らないようにする遊び。胡の字面からして本源はペルシャ(イラン)辺り、中国経由日本へ伝わった。古代の人が「病は西から」と思った所以である。古来、恐怖の代表格の鬼だが、平安末の『今昔物語』には「鬼が女を食う」「鬼に妻を吸い取られる」「「人の姿をした鬼を射殺す」「百鬼夜行に出会う」「鬼に追われて逃げる」等など、鬼まつわる話が満載だ。大江山の鬼、羅生門の鬼の話あたりはご存知の通り。仏教行事や民俗行事、能などでも鬼は大活躍だし、『日本国語大辞典』には「鬼に金棒」などの70近くの成語の外、「鬼」にまつわる言葉が12ページにも亘って載せられている。鬼は日本文化と実に親縁な仲にあって今に続いている。

 

 モノノケ(鬼)に殊の外恐ろしさを覚えた平安時代、その姿かたちはふんどし姿で3本指、蓬髪垢面の一本角の生えた鬼の姿で表されている(『吉備大臣入唐絵巻』)。今年の大河ドラマ「光る君へ」に登場の藤原道長もモノノケに怯えているが、一条天皇の中宮(后)になった娘の彰子が出産の時にも、祀った不動明王を前に、僧侶たちが読経など様々な加持祈祷を行い、モノノケが近づかないような修法に努めている(『紫式部日記』)。その傍らでは矢をつがえず弓の弦を鳴らす鳴弦という作法も行われる。生まれたばかりの子の産湯使いには、虎の頭の作り物(虎頭)を抱えた女性が先導して湯屋に向かう。湯屋の角には論語読みの者が立っており、湯屋に入ると湯の上で虎頭を舞わす。どれもみな鬼を近づけないための所作である。屋根にも人がいる。道長の場合、長男が生まれた際に屋根の上に甑(こしき・土製の蒸籠)を持って上り、生まれたとたんに甑を屋根の右へ投げ落とした。甑の割れる音で鬼が退散するというわけだ。実は男子出生の場合には左へ落とすのだが、うれしさの余りか慌てたのか、女子出生時の動作をしてしまっている(水野正好『まじなひの文化史』)。「この世をばわが世とぞ思う…」と藤原氏全盛時代を極めた人物も、一皮むけばやはり凡人だったのか?

 

 こわい鬼にも仏心はある。仏典にいう。千人もの子を持つ鬼子母(きしぼ)は他人の子を食べていたが、仏から罰としてそのうちの最愛の子を隠されて悔悟し、以後仏に帰依して産と保育の守護神「鬼子母神」になった。まさに「鬼の目にも涙」である。昔から「鬼ばばあ」(勿論「鬼じじい」の語もある)というが、歳の取りがいもなく鬼呼ばわりされぬよう、せめて孫たちと「鬼ごっこ」でもして遊ぼうか。いかがかな諸君?