壺中の独言

柿くへば…

秦 政博

第十五回

 

 

 

 この時期、妍を競うように黄色に色づいたたわわな実が秋の景色を作っている。明治28年10月某日、法隆寺の茶店に腰を下ろして御所柿を口にしていた時、東大寺の方向から鐘の音が…「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、いらい人口に膾炙される子規の名句である。拙宅の庭端にも柿の木はあるが実は付けない。屋根を超す程に伸びたため途中から切除。枯れてもよさそうなものだが、今年もその切り口から枝が伸びあがって、その強靭な生命力にあやかりたいものだと勝手な思いを巡らす。

なり過ぎて始末に困るからと、おすそ分けをいただいた。渋柿である。60個近くもあったが、干柿用に皮むきをし物干し棹につるす。およそ13,4日程度でほぼ完成。柔らかさといい甘さといい、まさに秋ならではの食味を堪能している。

 よく知られているように、柿渋の元はタンニンで甘柿にあるゴマがその正体。タンニンが黒ゴマ状に固まって溶け出さないようになると甘さを感じるわけだ。もともとタンニンは柿の実が若いうちはひどく渋くて吐き出すような不快さを感じるが、時間がたって塾してくるとマイルドになるという性質がある。元気のいい若者の頃はやたら角が立っていたのが、歳を重ねるに従い順応力が次第に増して、いわゆる人間が丸くなってくるのはこれに似た感じであろうか。もっともこの摂理に不適合な御仁もなくはない。丁度食べごろだと思い口にしたとたん渋みで閉口するように、歳の取り甲斐もなく衝突を繰り返す暴走老人がこれに当てはまりそうだ。

 「桃栗3年、梨柿8年」という。実生から実がなるまでの期間である。この類は割合に早く実がつくが、中には「柚は大馬鹿18年」もかかり、「林檎にこにこ25年」に至っては、この歳になって今からではとても間に合わない。そうなれば花咲じじいよろしく、途中切除した柿の木の早々の蘇りを願いたくなるのも人情というものだ。夫婦の間では「女房の不作は60年」とか「亭主の不作はこれまた一生」という戯れ句があるが、自分の事はそうであるにしても「女房の豊作60年」であることは間違いない。「ごちそうさまでした」。

干し柿を口にして「柿くへば…」と、日向ぼっこをしながらの、平安な秋の午後のひと時である。