壺中の独言

自分史

秦 政博

第十一回


 

 

 「ただ、過ぎにすぐるもの、帆をあげたる船、人のよはひ、春夏秋冬」-周知の『枕草子』の一文である。帆掛け船は別にして、齢を重ねるのも四季が巡るのも、清少納言の頃と全く変りはなく、今年もまた一つ齢を重ね、早くも夏がやって来た!「光陰矢の如し」とはよく言ったものだ。

 まだ身じまいを始めるのは、いささか早かろうとは思えども、生あらば必ず滅あり。方丈記には「朝(あした)に死に、夕(ゆうべ)に生るゝならひ、ただ水の泡にぞ似(にた)りける」と喝破する。『徒然草』では、生病老死がやってくるのは四季の移り変わりよりも早いし、順序通りにはやってこない。そしてまた、「若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期(しご)なり、今日まで逃れ来しけるは、ありがたき不思議なり」と。『徒然草』執筆の頃50歳前後の兼好法師は、生涯およそ40歳代という当時にあって、今まで命を長らえてきたのは「有り難い(稀な)」ことだという。それに比べ現代医学の恩恵に与かっている我等、昨年の厚労省の発表では男性81歳余、女性87歳余、まことの有り難いが男女差は不同、なぜか男性は、女性よりも早く別世界へ足を踏み入れる運命にあるようだが…。

 晩年になり来し方を振りかえって、自身の生きた証を残しておこうとする向きも多い。

 自分史、自伝或いは自叙伝を綴るのがそれ。著名人のものもよく目にする。ちなみに『福翁自伝』では「回顧すれば六十何年、人生既往を想えば洸として夢の如しとは毎度聞くところであるが、私の夢は至極変化の多い賑やかな夢でした。…私自身の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快なことばかりであるが…」と結構な人生に満足気だ。それとは対照的に、縮軍演説や大陸政策で軍部・政府を厳しく問いただし除名処分を受けるも、戦後吉田・片山内閣で国務大臣に返り咲いた議会人斎藤隆夫の場合。「碌々たる七十余年の生涯を自ら顧みて、恥ずることあるも、誇るべき何もない…浮きつ沈みつ七十余年これが人生である。有難くもあり、有り難くもなし」と『回顧七十年』に記し、翌昭和24年に79歳で没。

 さて、自分の足取りはと自問するに、例にもれず「浮きつ沈みつ」の道程を辿ってきたようだが、大半は「沈みつ」だったのは間違いない。そして今日、「妻は下に我は2階にむきむきに ちさき窓あけくもり日に居る」(牧水)の如く、それぞれ差し向かいの孤独を楽しんでいる。少ない明日への希望をつなぐように…これも自分史の1ページである。

今日も頑張るぞ!