壺中の独言

春の海

秦 政博

第十回


 

 ちょうど1年ぶりになろうか、4月下旬に出かけた佐賀関半島の海のことである。春の陽気に誘われて、連れ合いと佐武という名の一匹とでいそいそと出かけた。助手席からやれ信号が黄色だの、やれブレーキの踏み方が遅いだのと度々のご注意を受けながら約1時間弱の道程。神崎を過ぎるとそれまで見え隠れしていた別府湾が、「春の海ひねもすのたりのたりかな」みたいな情景となって目に映じる。穏やかな波頭がキラキラと陽光に輝いて、北には国東半島が、はるか遠方東には佐多岬が春霞にうかんでいる。蒲江辺りの県南の海では太平洋の「海は広いな大きいな」という望洋感を覚えるが、ここでは瀬戸内に出入りする「水道」の海である。

 

 大在と坂ノ市の境界近くに屹立する5世紀頃の古墳「亀塚」は、この水道の支配者のものに違いなく、県下最大級の規模を誇る墳丘はまるでここの海を凝視するかのような雄姿である。「王の瀬」という眼下の海岸の地名も、この墳墓の主への想像心を掻き立てる。古代以来この地から蒲江までは長く海部郡と呼ばれ、ついで明治11年から平成の大合併(平成17年)まで北海部郡・南海部郡という郡名を冠した町村があった。その名のようにこの郡名から、漁労はもとより人とモノ、情報や文化が行き交う「海の道」に生業を求めてきた海部の歴史を彷彿とさせる。歴史的にもかけがえのない所産の「海部」の名辞が、平成17年に無検証のままにいとも簡単に消失したことは、平成の大合併を進めた政治上の過誤と批判される出来事ではないか、忸怩たる思いは今も続いている。

 

 目的地の海岸には3人の女性連れが波打ち際を散策している。時々座り込んで岩の間に手を入れたり覗いたり、一人は裸足で砂の感触を楽しんでいる。潮の香の微風を受けながら、打ち返す波音に合わせるように時間がゆっくり流れて行く。佐武は戯れがちに寄せ波引き波に足を運びながら、潮の味に不思議そうな面持ち。もう一人連れ合いは、波打ち際であちこちに打ち捨てられたようになっている流れ藻を拾い出した。2、30分もすると大判のごみ袋7分目ぐらい迄になった。かなり重そうに抱えているが、一匹の世話をしているもう一人はやむを得ずに知らん顔!

 

 実はここに来た目的はこの流れ藻拾いにある。庭にある猫の額ほどの畑には、季節ごとに何かしらの作物(というほどでもないが)を植えて、朝餉・夕餉の菜に供している。取り立てて言うほどもないが、新鮮さだけが取り得である。今はトマト10本、キュウリ8本、小ネギ、坊ちゃんカボチャ、芽の出たばかりのジュウロクササゲなどを栽培中。潮含味の流れ藻はとりわけトマトの肥料に好適とか、塩分の刺激で甘みを蓄えた実をつけるという。速実行とばかりに流れ藻採取に出かけたわけである。3日ほど天日干しにして根周りに漉き込んだが、予想通りにいくのかどうか、半分は不安気でいる昨今だ。

 

 考えてみると人生ウン十年、甘・辛・苦・酸・鹹の五味は経験済みの吾々だが、トマトに倣ってホドホドの刺激を施せば、心身活力の蘇生肥料になるかもしれない。。歳に逆らうような淡い期待だが、豊友会員諸君、試してガッテン!