壺中の独言

菜の花の頃

秦 政博

第九回


 

夕刻、一人と一匹で大分川の川面を眺めながらのそぞろ歩きを日課にしている。堤防の斜面にはこの時期、一面まるで黄色の絵の具を溶かしたような所がここかしこにある。菜の花の群落である。国東半島の長崎鼻には、どうやって数えたものか2千2百万本もの菜の花が今を盛りに咲き誇り、「菜の花フェスタ」の真っ最中とか。蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」は、夕暮れ時の菜の花の風情を読み込んだ即興句で、頃は3月23日。月齢は満月らしい。

あちこちに咲いている菜の花を見ながら、連れの一匹に「佐武よ、美しいな!」と声をかけると、輪のように丸まった尻尾をピリリと振って応えてくれた。たぶんそう感じているに違いない。猫は感情の動きに応じて様々な位置形状運動を示すというが(寺田寅彦『柿の種』)、佐武だって猫には負けてはいない。

家に帰って菜の花の話題を持ち出した。その反応、「あら、そう。せっかく沢山咲いているのにもったいない」—何をノタマウのか?と訝しげに思っていると、「子どもの頃私たちの田舎では、それから菜種を採って菜種油をこしらえていたの。値上げのこの時期、油の値段も上がって大変なのに!」という。聞けば戦後間もない時代、菜種搾りの業者が求めに応じて村々を廻り、蒸した菜種から油を搾っていたそうだ。採取・栽培などのことになると、俄然持ち前の生産意欲、モッタイナイ精神が頭をもたげてくる。たぶん「古事記」あたりの神話にいう、大宣都比売神(オオゲツヒメ)や保食神(ウケモチノカミ)などの五穀創成の遺伝子が、体質として受け継がれているのかも知れない。

ついでながら、大分川にまつわる神様のことである。大分川は由布の峰々の山間に流れを発する。現在「豊の国ゆふいん源流太鼓」が源流の名を冠して活躍している。当地の伝説にいう。人智の開けぬその昔、由布院盆地は湖底にあった。ここで女神が登場、宇奈岐日女(ウナキヒメ)という。この女神が力自慢の権現に湖を取り巻く壁を蹴破るよう命じ、あふれ出た水は大分川になり、干上がった地は由布院盆地になったという。流路延長は約51キロ、流域総面積は約674平方キロ。縄文・弥生の頃から、連綿と県中部の人と自然に恵みをもたらしてきたこの川の造成神話、その立役者の宇奈岐日女は今も由布院盆地に社地を構えて篤く尊崇を受けている。

そういえば妻だって神様。事実オカミサンというではないか!そんなことを思いつつ、連れの一匹に語り掛けるように(といっても相方の唱和はないが)、♪菜の花畑に入り日薄れ…を口ずさみながら川べりに歩を進める。過去の世界に連れ戻されたような感傷に浸ること一時、重ねた歳の重さも感じる夕暮時である。