壺中の独言

―水の話―

秦 政博

第十二回


 

 

 

 夏は水の季節である。凉を求めて水辺に集う機会が多い。他県のことだが半世紀近く前、昭和551980)年頃の池田弥三郎(国文学者)の話。富山は「水の国」という。「長生きしたけりゃ富山においで、うまい空気に水がある」なんて俗謡があったらしいが、そこで池田先生は、「(富山の)あの山々の雪を、水にして流し捨ててしまうだけなのは、もったいない。…富山の水そのものが売りものにはならないだろうか、ということも空想している。…しかしこれも、富山の河川の水や湧水をただそのまま、びんに詰めたり、カンに詰めたりしても、そんなことが今すぐ企業化するわけのことでもないと思う」と黙想する(『魚津だより』)。

 ところが今日、その様子は見ての通り。ペットボトル詰めの「〇〇の水」が、市中至る所の自販機やらスーパーなどで買い手を待っている。昭和601985)年に環境庁選定の「昭和の名水百選」がその契機になったことは間違いなく、健康志向の高まりに加え、たぶん外国のミネラルウォーターに倣った商魂も加わってであろうか、所謂「名水ブーム」が広がったせいである。平成202008)年「平成の名水百選」でこの勢いはさらに増したから、池田先生の思いは見事に実現された。ちなみに大分県では昭和名水は3か所(男池湧水群・白山川・竹田湧水群)、平成名水は玖珠町下園妙見様湧水群1か所だけ。但し環境省の言い分では、百選名水は「そのまま飲める美味しい水」ではなく、地域の保全活動で保全が良好なものと断っているから、名水だからといっても、くれぐれも過誤のなきよう!

 それにしても水汲みが盛行して久しい。そういう自身もかつて直入町の「水の駅」や入田湧水などによく通ったものだ。今は大分市水道局に全幅頼っているが、舌力が退化してきたためか、汲み水と水道水のいずれがどう違うのか分別不能となった。けれども幼少の頃、日射病(当時はそう呼んだ)になりそうな暑熱の最中、釣瓶で汲んだ冷たい井戸水が喉を潤したあの心地良さは、今も新鮮な記憶として残っている。

 「変若水」と書いて「おちみず」と訓ずる。この言葉の意味は、「水が老人を若返らせる力を持つ」というから何とも有難い水である。いうまでもなく水は命の源。天空から流れ落ちるような滝の姿は命の躍動を感じさせるが、滝の語源は、『古事記』に記す天上の「安(やす)の河」の早瀬にちなむ女神、「多紀理毘売命」(タギリヒメノミコト)の「タギル」に由来するらしい。つまり滝は女神の化身なのだ。暴れるように流れ下る水の勢いから瀑ともいうが、岩の割れ目を流下する水の様から女性に見立て、また「産の瀧」と呼んで安産の呪にする地域もある(白洲正子「滝の話」)。「熊野曼荼羅」という絵にも、那智の滝の瀑下に、生まれた子供を抱き取る男女の様子が描かれている。

 もっとも老生にとっては、奈良の昔、元正女帝が「美泉以って老いを養うべし」として、「霊亀」から「養老」に年号を変えたほどの、また一説に酒が流れるともいう「養老の滝」の方が興味津々である。岐阜県養老町の当地に行くこと遅きに失しては、死んでも悔いが残りそうだ。

東椎屋の滝 大分県宇佐市安心院町