壺中の独言

言葉談義

秦 政博

第四回


 

14歳の中学生の意見。「私たち日本人の特に若い世代は、自分の思いを素早く表現しようとするばかりに、言葉を考えて選ばず、乱れた言葉をついつい使ってしまいます。…それが周囲に浸透してしまい、若い世代だけではなく、祖父のような世代の人にも伝わってしまうのだと思います」と。年頃から見てこの子の祖父はたぶん6、70代だろうか。親戚一同の席で、祖父が「うざい」というハヤリ言葉を使ったことに強い違和感を思っての投稿である(『毎日』9月19日オピニオン)。ハヤリ言葉、つまり流行語は、世情に沿って次々に生まれてはすぐに消滅する、まさに「よどみに浮かぶうたかた」のような、流行歌よりも短い命の若者言葉である。若者たちは時流に乗り遅れまいと、意識的にこれを使いたがる。毎年流行語大賞とやらが発表されているが杞憂には及ばない。一つとして長生きしたものはなく、これからもそうだろう。ちなみに、高校生間で今年流行りそうなものをインターネットで検索すると、「草」「それな/それなー」「きまZ/きまずい」「はにゃ/はにゃり」、昨年は「ずっしょ」「きゃぱい」「ぷいぷい」など。これはもう日本語の域ではない。

もちろん言葉は生き物、時代に従い変化する。劇作家の宇野信夫は言葉の変わりようについて、幾つかの身近な例を挙げている(『しゃれた言葉』)。着物は「きかえる」のが正しい言い方だが、『広辞苑』や『日本国語大辞典』ではカッコ付で「きがえるとも」と添え書き。「御用達」の方でも本来は「ごようたし」とするが、「ごようだち」「ごようだつ」の項もあり、「ひとごと」という「他人事」は「たにんごと」の項として載せているなど、今日ではどれも正しい言葉扱いとなっている。「あくやく」の方はまだ「わるやく」にはなっていないが、これも時間の問題かも?

「おはスポ」「おはビズ」「いろスポ」など「ん?」と思う番組名、「くまソラ」という不可解な言葉の天気予報は担当が変われば「何ソラ」になるのか。不可解といえば「激ムズ」にも頭を傾げた。これらも流行語の部類というべきか、若者向きの言葉には違いないようだ。ついでに言えば、偶にアクセントのおかしなアナ!もいるみたい。多事多端な世の中だから、面白おかしく興味本位の短縮形で目を引こうとの魂胆かと、つい勘繰りたくもなるが、ことは日本語と国語教育に関わる重大事である。かつて先人たちは、明治前後に欧文の翻訳に当たって大いに苦心した。「議会」「集会」「社会」「憲法」「人権」などなど、生活上必須の翻訳漢語は数え上げたらきりがない。軽薄短小の誹りを受けても仕方のないような流行語は、もちろん今に始まったことではないが、近頃の首を捻るようなヘンテコ語にはホトホト閉口する。もっとも『枕草子』の時代にも「ことばなめげなるもの」(無作法な言葉づかい)があったことは確かだが。

冒頭に紹介の中学生は、「本当にきれいで美しい日本語が、だんだんと消えていくのだと考えると少し寂しい気がします。…これからは少し意識して言葉を選んでいこうと思い始めています」という意見で結んでいる。背負うた子に教えられる思いである。心せよ大人たち!