壺中の独言

今日の運勢

秦 政博

第二十四回

 

 毎朝届く新聞のテレビ欄の箇所に「今日の星の占い」が載っている。ほとんど興味もないし、手相や人相などの占いに関わる事には全く信を置かないので見ることはない。どうしたことか、それが先日偶々目に留まった。牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座など…全13の星座ごとに日付を割り付けて、それぞれに「今日の運勢」を解説。初めて目にする興味も手伝って、去る朝自分の誕生日に該当する「水瓶座」を見ると、<優しさが幸運の鍵。他人のために動いて信頼上昇も>との御託宣。

 

 そういえばその朝方、しばらく音信のなかった某社の社長から突然の質問電話。曰く、「宗麟の時代に鶴崎に侵入してきた薩摩の軍勢を相手に、縦横無尽の活躍をした女傑がいたそうだが、資料等の手掛かりはありますか?」。どうやら知る人ぞ知る、宗麟の重臣吉岡氏の妻妙林尼のことらしい。早速に要旨を伝えたところ、「それでは早速、先哲史料館に行ってみよう」とのこと。待てよ、それなら確か手元に関係資料があったはずと書棚を捜索することしばし。『大友興廃記』や司馬遼太郎の『歴史と視点』にある一文「豊後の尼御前」などを見付け出した。取り急ぎこれらの資料を連絡すると、間もなく受け取りに来宅して一件落着。その朝の「星占い」<優しさが幸運の鍵、他人のために動いて…〉の予言などにはむろん無関係であるが、星占いの適中感をちょっぴり感じたのは気のせいだろうか。

 

 筮竹(ぜいちく)を捻りまわし、人相や名前、生年月日を尋ねたり、掌の皺の付き具合の手相などで運勢を占う作法は今を遡及すること3千年も前、日本がようやく縄文から弥生へと移る時代に中國に始まったらしい。星占いとはどういうものだか全くの無知だが、『広辞苑』では星座や星の運行で運勢や吉凶を占うものと解説。そのようなあれこれでもって、運勢が判れば苦労はないのだが…。誰でも自分の分身には良い名前を付けようとするのが親心。近頃は「何とよむのかな?」みたいなキラキラネームが流行しているみたいだ。水を差すようだが、姓名判断もデタラメと作家柴田錬三郎はいう。柴田の言は辛辣だ。「名は体を表す、というのは嘘なのである。…晋の成公の幼名は黒臀(まっ黒な尻)、韓の襄公の子は蟣虱(しらみ)」、また犬の子や悪奴という幼名の君主もいるし、始皇帝が我が息子につけた最良の名前「胡亥(こがい)」によって、秦の国は滅ぼされたではないか」という(『日本の名随筆 占』)。

 

 かつて石油危機やトイレットペーパー騒ぎ、コメ不足などで翻弄されたことがあったが、現実今でも地震、異常気象、突然のコメ不足など、数々の不安が絶えず付きまとって心穏やかでない。そうであれば、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」、16世紀の名預言者ノストラダムスに蘇ってもらいたくもなる。でも運勢への要諦は自身の構え方にあるのではないか。一途の努力を尽くした後に、「運を天に任せる」という堅固な心意気を持ちたいものだが…もう齢を取り過ぎたようだ。